白岡と河川

白岡市には29本もの川が流れ、その内7本が一級河川です。また、5km四方の市内に柴山伏越を始め川の立体交差が9か所あります。これは全国的にも非常に珍しく、多くの河川改修の歴史により実現したもので、白岡市は河川と密接なつながりを持った土地であると言えます。

江戸時代以前の関東平野の低地は河川が乱流する広大な低湿地であり、生活には不適な土地でした。そこで江戸幕府は二度にわたる大規模な河川改修を行いました。

初期の改修は、伊奈忠次、忠治父子による利根川と荒川の改修です。利根川の改修により、市の中心部を流れていた大河である「日川」の流量は激減し、荒川の改修により備前堤を築いて県東部低湿地は開発への基盤が整いました。

中期の改修では8代将軍吉宗の「享保の改革」の一環として、米の増産をはかる為の見沼溜井の干拓と見沼代用水の開削が行われました。

用水は田に給水するため排水用河川より数メートル高い位置を流下します。そのため、江戸時代初期に日川跡地を新田にする目的で、多くの排水用河川が開削されていることから見沼代用水の本支川と排水用河川が立体交差することになりました。

1 白岡と河川
川の立体交差

野通川は行田市小針を管理起点とし、鴻巣市、菖蒲町、白岡市を流れ、蓮田市で元荒川に合流する1級河川である。この川は見沼代用水が享保13年(1728年)2月に完成した後に幕府勘定吟味役の伊澤弥惣兵衛為永によって行われた周辺沼地干拓の排水路(落し堀)として、開発されたものである。

隼人堀川は白岡市柴山を管理起点とし、宮代町を流れ、春日部市で古利根川に合流する1級河川である。隼人堀川は、見沼代用水の完成とともに周辺地域の灌漑用水が確保され栢間沼を干拓するにあたり、溜水を排水するために掘られたものである。この川の呼び方は、以前は庄兵衛堀川合流地点から下流を隼人堀川と呼び、上流部分は栢間堀と呼んでいた。今では河川行政上は全川を通して隼人堀と表示されている。

この2つの用排水路がこの付近で交差し、隼人堀川が野通川の川底をくぐって川の立体交差を形成している。

2,3 野通・隼人と見沼・隼人

見沼代用水路は八代将軍徳川吉宗の命により、井澤弥惣兵衛為永によって開削された見沼に代わる灌漑用水である。この用水は現在の利根大堰で取水され、総延長は約84kmで、その下流端は東京都足立区に及んでいる。

隼人堀川は白岡市柴山を管理起点とし、宮代町を流れ、春日部市で古利根川に合流する1級河川である。隼人堀川は、見沼代用水路の完成とともに周辺地域の灌漑用水が確保され栢間沼を干拓するにあたり、溜水を排水するために掘られたものである。この川の呼び方は、以前は庄兵衛堀川合流地点から下流を隼人堀川と呼び、上流部分は栢間堀と呼んでいた。今では河川行政上は全川を通して隼人堀川と表示されている。

この2つの用排水路がこの付近で交差し、隼人堀川が見沼代用水路の川底をくぐって川の立体交差を形成している。

2,3 野通・隼人と見沼・隼人

元荒川は、熊谷市佐谷田を起点とし、柴山(白岡市)で野通川、篠津(白岡市)で星川と合流し、中島(越谷市)で古利根川と合流する延長61km、流域面積216平方kmの中川水系の1級河川である。名の通り、古くは荒川の本流だった。

見沼代用水路は八代将軍徳川吉宗の命により、井澤弥惣兵衛為永によって開削された見沼に代わる灌漑用水である。この用水は現在の利根大堰で取水され、総延長は約84kmで、その下流端は東京都足立区に及んでいる。

この2つの用排水路がこの付近で交差し、見沼代用水路が元荒川の川底をくぐって川の立体交差を形成している。この立体交差部分は柴山伏越とよばれている。

4 元荒川・見沼

星川は熊谷市上川上を起点とし、白岡市西で元荒川と合流する延長34km、流域面積45平方kmの中川水系の1級河川である。起点から小見(行田市)までを上星川といい、小見から上大崎(菖蒲町)の16間堤までを見沼代用水といい、16間堤から元荒川合流点までを下星川という。見沼代用水が伊澤弥惣兵衛為永によって半年間の短い工期で完成できた理由の一つはこの星川を利用したことであると言われている。

隼人堀川は白岡市柴山を管理起点とし、宮代町を流れ、春日部市で古利根川に合流する1級河川である。隼人堀川は、見沼代用水の完成とともに周辺地域の灌漑用水が確保され栢間沼を干拓するにあたり、溜水を排水するために掘られたものである。この川の呼び方は、以前は庄兵衛堀川合流地点から下流を隼人堀川と呼び、上流部分は栢間堀と呼んでいた。今では河川行政上は全川を通して隼人堀と表示されている。

この2つの用排水路がこの付近で交差し、隼人堀川が星川の川底をくぐって川の立体交差を形成している。

5 星川・隼人

隼人堀川は白岡市柴山を管理起点とし、宮代町を流れ、春日部市で古利根川に合流する1級河川である。隼人堀川は、見沼代用水路の完成と共に周辺地域の灌漑用水が確保され栢間沼を干拓するにあたり、溜水を排水するために掘られたものである。この川の呼び方は、以前は庄兵衛堀川合流地点から下流を隼人堀川と呼び、上流部分は栢間堀と呼んでいた。今では河川行政上は全川を通して隼人堀と表示されている。

黒沼用水路は見沼代用水路から分水し、白岡市を灌漑する延長12kmの用水である。上大崎(菖蒲町)の16間堤の300m上流で見沼代用水から分水する時は中島用水路と呼ばれ、除堀(久喜市)で笠原用水と分離し東方へ直流する。東流した黒沼用水路は原、樋ノ口(以上久喜市)を通り、篠津(白岡市)から白岡町の中央を流れ、白岡(白岡市)で二派に分かれる。

この2つの用排水路がこの付近で交差し、黒沼用水路が隼人堀川の川底をくぐって川の立体交差を形成している。以前は掛渡井式で交差していたが、平成6年に樋管で隼人堀川の下をくぐるようになった。

6 黒沼・隼人

黒沼用水路は見沼代用水路から分水し、白岡市を灌漑する延長12kmの用水である。上大崎(菖蒲町)の16間堤の300m上流で見沼代用水から分水する時は中島用水路と呼ばれ、除堀(久喜市)で笠原用水路と分離し東方へ直流する。東流した黒沼用水は原、樋ノ口(以上久喜市)を通り、篠津(白岡町)から白岡市の中央を流れ、白岡(白岡市)で二派に分かれる。

三ケ村落は新田開発に際して必要となる水抜き用の排水路(落し)である。文禄3年(1594年)、会の川(利根川の旧流路)を忍城主松平忠吉が忍城の防備を目的に川俣で締切りより北川に位置する浅間川に付け替えたため、川崎(羽生市)で会の川(利根川の旧流路)から分流し当町を流れていた日川(にっかわ)の水量が減少し、広い後背湿地が生じた。そのため、これを新田に変えるための開発が盛んに行われた。この開発の時に開削されたのが三ケ村落である。

この2つの用排水路がこの付近で交差し、三ケ村落が黒沼用水路の川底をくぐって川の立体交差を形成している。

7 黒沼・三ヶ村

新堀は黒浜上沼(蓮田市)を源とし、江ケ崎(蓮田市)、鹿室(さいたま市)を流れ、太田新井(白岡市)を経て隼人堀川に合流し、古利根川に通ずる排水路である。その延長は4km、流域面積は8000町である。明治以来何回も回収工事が行われているが、特に太平洋戦争をはさんで行われた工事では資材不足に起因する御成街道と交差する暗渠部分で陥没事故を起こし難工事となった。永久構造物としてこの新堀が完成したのは昭和54年4月で、実に明治元年から数え111年もの歳月が経過していた。

黒沼用水路は見沼代用水路から分水し、白岡市を灌漑する延長12kmの用水である。上大崎(菖蒲町)の16間堤の300m上流で見沼代用水路から分水する時は中島用水路と呼ばれ、除堀(久喜市)で笠原用水と分離し東方へ直流する。東流した黒沼用水路は原、樋ノ口(以上久喜市)を通り、篠津(白岡市)から白岡市の中央を流れ、白岡(白岡市)で二派に分かれる。

この2つの用排水路がこの付近で交差し、黒沼用水路が新堀の川底をくぐって川の立体交差を形成している。

8 黒沼・新堀

姫宮落は下早見(久喜市)を起点とし、白岡市を流れ宮代町で古利根川に合流する延長10km、流域面積13平方kmの1級河川である。上流部は北川で備前堀川と南側で庄兵衛堀川にはさまれ、下流部は北側で古利根川と南側で隼人堀川にはさまれているため、延長の割りに流域面積が小さくなっている。

百間用水路は西粂原(宮代町)で笠原沼用水路から分水し、白岡市を灌漑している用水である。

この2つの用排水路がこの付近で交差し、百間用水路が姫宮落川の川底をくぐって川の立体交差を形成している。

9 姫宮・百間

高岩落川は、野牛(白岡市)から流れ出し、東粂原(宮代町)で姫宮落に合流する5kmの排水路である。この排水路の開削により、野牛の低湿地は美田と化した。  正徳3年(1713年)に野牛の領主新井白石がこの排水路の上流500mを開削しており、「白石堀」あるいは「殿様堀」と呼ばれている。

百間用水路は西粂原(宮代町)で笠原沼用水路から分水し、白岡市を灌漑している用水である。

この2つの用排水路川がこの付近で交差し、百間用水路が高岩落川の川底をくぐって川の立体交差を形成している。

10 高岩・百間